治療教育という道 その二十二
子どもたちの藝術的創造的自由は完全に保障されつつも、彼らにおもねることのない治療教育
団体を設立・組織するのではなく
地域を越え、凡ゆる枠組みを越えた
地球の学校
大地の学校
The School of the Earth
宇宙の学校
万有の学校
The School of the Universe
について
☆ ☆ ☆
前回、中国に於ける「完全自由な藝術共同体」として始動している
学舎《夜の散歩》
The School “Night Promenade”
での活動内容についての説明を試みた
今回からは数回に亘り、その内、演劇の台本に就寝後の観察によって、子どもたちの《夜の意識》から直観されたテキスト、即ち「子どもらの夢、夜のインスピレーションから生み出されたもの」を取り入れることについて
それが実際どのような経緯で行われるのかを
前回執筆時に取り組んでいた戯曲『何処へ行っても同じ駐車場』の成立過程を詳述することで
明らかにしていきたいと思う
本戯曲の根源は、筆者が幼児期からなんと成人に至るまで、祖母から折に触れて語り聴かせてもらった物語
『何度行っても同じ道』
である
そこで今回は特に、この根源的物語について語ろう
因みに物語本体をお読みになりたい方には
以下の方法がある
★ ★ ★
hananoie2011@gmail.com
まで 件名に「何度行っても同じ道」と入力し、ご送信ください。
後ほど「何度行っても同じ道」初稿と第七稿の閲覧できるURLを返信いたします。
★ ★ ★
さて、『何度行っても同じ道』は、幼児期から成人に至るまで、祖母に語り聴かせてもらった物語
と書いた
この話は実話で、祖父母が数年間北海道に移り住んでいた時の、祖母の体験談である
初めて聴いた時の衝撃
北海道という見知らぬ土地の壮大な自然
隣家が森と平原の彼方にあるという珍しさ
(私自身は生まれも育ちも東京城南なので、隣家が隣にない、という状態は理解を越え、想像を絶した)
道を迷わせる狐の精霊という存在
・・・・・・・・・・・・・・・
そして祖母の語りは毎回同じ内容ではなく
ある時は彼方の隣家に住むロシア人の女房の目が宝石の溢れる如く大きく深く輝いているのを見て、美しさ半分、恐ろしさ半分だったこと、怖いよ〜!
またある時は、狐さんにお供えした油揚げが、毎日綺麗に食べられてなくなっていたこと、つまり、狐さんは本当に居るし、油揚げもたべるんだ、凄い〜!
そしてこの話は、幼い私の精神形成の根幹になった
即ち
世の中には、目に見えないものがあって、けれども、その目に見えないものは、厳然と存在していて、そしてその「目に見えないもの」こそが実生活に欠かせない大切なものである、ということ
そして、私は、祖母が私をそのように育ててくれたことに、先人の深い知恵を感じ、深く感謝している
なぜなら、つまり、その知恵こそが、先人の知恵、祖母の知恵こそが、今、私自身の行っている藝術と治療教育の基盤、尺度、羅針盤になっているからである
世の母たちに
就寝前に子どもにする物語を大切に考えて欲しい
幼児期、少年少女期は一生に一度きり、二度と戻らない、繰り返されない
この時期に父母(ちちはは)祖父母から、どれほど豊かで愛情の込められた物語を聴いて育ったかは、極めて重要である
名作物語でなくてよいし、プロの語り口である必要もない
できれば自身の体験談や、自ら創作したものを、語ってほしい
短くて良いし、はっきり言うなら稚拙で一向に構わない
子どもが何より必要としているのは、温もり、安心感、である
祖母はこの話を、私が成人になってからもしてくれた
夜遅く仕事帰りで、それこそ酔いどれ詩人を気取って鼻唄歌いながら勝手口の鍵を開けて家にはいると、茶の間に祖母が待っている
「お腹空いてる?」
「うん、ありがとう」
私は祖母の味にホッとしながら
「狐さんの話聴かせてよ」
と頼むと
「そうだねー、あれは今思い出しても不思議なことだ
何度行っても同じ道に戻ってしまうんだからねー」
と語り出すのだ
そうして私は、祖母の味と祖母の物語を噛み締めながら眠りにつく
幼少期に於ける物語体験が極めて重要であるとともに言えることだが
物語に年齢制限はない
物語は子どものものだけではない
私には上述の体験があるので、自閉症やダウン症の子どもら、今はもう齢三十を越した彼らにも、昔語りをする
それも二十数年間語り続けてきたものを
物語は一生の宝
そして生死を越えた旅路の糧
なのだ
☆ ☆ ☆
次回は物語の発展について、祖母の物語が、子どもたちの力によって、どのように変容・展開していくか、語ろう
二○二三年十月四日 沖縄
屋我地診療所治療教育外来代表
川手鷹彦
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