治療教育という道 その二十四

投稿日:2024年01月22日(月)

『何度行っても同じ道』
 
この話が、幼い私の精神形成の根幹になったこと
そしてこの物語体験を通して
「世の中に目に見えないものが厳然と存在していて、それこそが実生活に欠かせない大切なものである」
と学んだこと
 
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【川手いき 明治35年1902年生 昭和59年1984年歿】

 
更には、祖母が私をそのように育ててくれたことに、先人の深い知恵を感じ、その知恵こそが今、私自身の行っている藝術と治療教育の基盤になっている
 
と、前々回の本欄で述べた
私が創作するようになってから、この話(原話)は様々に変容した(派生話)
 
『何度行っても同じ穴』
『何度行っても同じ学校』
『何度聴いても面白い』(物語集の名前)
 
前々回同様、 物語をお読みになりたい方には、 以下の方法がある
 
★ ★ ★
 

上記の物語、そしてこれ以降に例示される諸作品の本文をお読みになりたい方は
一般財団法人《花の家》のメールアドレス
hananoie2011@gmail.com
までご連絡ください。件名の閲覧できるURLを返信いたします。

 
★ ★ ★
 
物語には原形というものが存在する
例を揚げるなら
《城の王》とは人の心に存在する高き霊性であり
《森の中の城》とは心の奥深くの霊性の在処(ありか)である
原形の豊かで厳密な物語は優れた藝術作品であり、
そこから様々に枝分かれして発展・変容していく無限の可能性を持っている
世阿弥が謡曲の創作について
自らの想像のみに頼ることを禁じ、先人の作品を原典に採るよう後継者たちに求めた背景には、上述の事情があったのだ
勿論世阿弥本人も、平家物語や伊勢物語など、必ず過去の名作に基づいて創作している
祖母の実体験による物語が平家物語と較べ得るなどとは思わないが、
「狐さんに化かされて何度行っても同じ道に戻ってしまう」
と聴いた時、幼い私の心は、好奇心と畏怖と有り難み等、幾つもの感情と想像が入り混じって打ち震え、掻きむしられ、燃え上がり、洗い流された!
 
目に見えない狐さん神さま
この世には人智の及ばないことがある
自分もいつか目に見えない存在と直に出会えるようになりたい
 
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【Copyright © 2024 川手鷹彦.】

 
そして私の裡には大自然の背後に座(おわ)す精霊たちへと
祖母という偉大なる女性、母性への畏敬の念が湧き起こり
そしてその畏敬の心は膨らみ拡がって私自身を包んだ
 
こうして今生に於ける私の精神性は方向づけられたのである
 
スイスの「ゲーテアヌム演劇単科大学」で尊敬する担当教師から詩作を禁じられ、全ての藝術衝動を朗誦と演戯に集中して注ぐように言われた私は、裡に溢れる創作衝動の行き場を探していた
その時、子どもらにする物語ならば、聴き手である子どもらの状況によって変わって当然だし、詩作厳禁令には抵触しないだろうと勝手に決めつけ物語創作が始まった
 
事情を今少し詳しく述べよう
 
子どもらにする物語り・素語りに関して私は、長年に亘り、信頼できる既成の物語を一字一句違わぬように語っていた
 
それが
ジェイコブズ/Joseph Jacobs の
『旅するもろこしパン』
『猫の王』
であり
小泉八雲の
『耳無し芳一の話』
であり
宮澤賢治の
『いちょうの実』
であり
伝承話の
『見るなの箪笥』
であった
 
スイスやドイツの子どもら
日本やアジアの子どもたち
にもそうしていた
演劇学校を卒業し、バリ島に渡り得度して僧侶となり魔女ランダを舞い、沖縄に「うーじぬふぁー」という子どものための通所施設を開設した後もそうしていた
ところがある日、異変が起きた
二〇〇五年の春か、初夏の頃だったろうか?
東北地方のある幼稚園に呼ばれて、五十人ほどの園児向けに素語りをすることになった
私は当然の如く、語るお話を準備し、稽古し、当日会場へ向かった
愛くるしい子どもら
騒いでいるのも可愛らしいが、少し待てば静かになる
さてと、始めるかな…
と思った瞬間
あれあれ
あれあれ!
あれあれあれ?
目の前に居るのは人間の子どもらではなく、蛙の子どもたち!
 
そして私の口から発せられたのは
用意してきた物語ではなく…
 
ある日蛙の母さんが
田圃を巡って火の用心
♪♪♪カエルの(手拍子×4)
♪母さん
♪火の用心 クヮックヮッ!
 
であった
 
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【Copyright © 2024 川手鷹彦.】

 
この当時、いつでも直ぐに子どもらのために、一字一句違わずに、私の語れる物語は、五十から六十、バリエーション(内容は似ているが、細部の設定や語り口調、挿入歌などが異なるもの、今回冒頭でご説明している原話と派生話のこと)も含めれば百近くになっていた近所の子どもら、同じ語学サークルに通ってくる子どもら等に、昔話を語り始めたのが17〜18歳頃だったから、私の物語り聴かせ歴はそろそろ三十年になろうとしていた
 
後年バリ島に亘り師事した、影絵芝居師で嘗てのランダ舞手である I Dewa Made Rai Mesi によれば「影絵芝居の題目数が、五十を越え、百に近づき越していく頃から、上演地に着いて観客の様子等を見ながら、
Rāmāyaṇa/羅摩衍那/ラーマーヤナやMahābhārata/摩訶婆羅多/マハーバーラタの物語諸々を自在に組み合わせ、合間合間に即興譚を入れて、結婚式、成人式、葬式等、其々の状況に相応しい作品を観せられるようになったそうである
 
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【儀礼舞踊劇”Calonarang” 魔女ランダの舞】

 
また、その若き日に、幾度も舞台を共にさせていただいた狂言方の九世野村萬蔵師(当時は本名良介〜二世野村与十郎襲名時代)も次のように言われていた:
子どもの頃から厳しい稽古の連続で、伝統藝能の家に生まれたことを恨む事もありました
けれども思春期を越えて成人になる頃、完全に身についた演目が百を超える頃に、やっと自由に楽しく演ずることが出来るようになりました
 
いずれも流石に重みのある言葉である
積み重ね、継続、不断の稽古の大切さを、しみじみ思うばかりだ
 
さて
本日の主要テーマである
『何度行っても同じ道』は既に触れたように幾つかの派生話となり
そして遂にひとつの戯曲となった
 
『何処へ行っても同じ駐車場』
 
この時期から既に多忙の治療教育と演劇諸活動に中国の子どもらの就寝後訪問が加わり、私の生活は、文字通り「寝ても醒めても物語」
というより
「二十四時間〜物語」
となった
子どもらのインスピレーションは豊かで、驚くべき内容もしばしばである
 
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【Night-consciousness under the flowers】

 
件の戯曲の中では特に
 
齢千と一年の大巨人哲哲が、母から物語を聴いて育っていない悪戯蛇の语涵姫に、超高層雲上タワーマンション千一階の屋上から姫の魂の渇きを癒す千とひとつの物語を語る件りである
 
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【広州の夜の街へ向かって、Christian Morgenstern/クリスティアン・モルゲンシュテルンの “In mitten der großen Stadt”『大都会の真ん中で』《在大都市的正中心》とJohann Wolfgang von Goethe/ヨハーン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの“Wandrers Nachtlied”『旅人の夜のうた』《漫游者的夜歌》を独逸語・中国語で朗詠】

 
一緒に千一階を降りながら地下駐車場に着くまでに
千一超絶怪奇空前絶妙幽想天外譚の種々を聴かせ、尊く哀れな姫の魂を洗い浄める
 
例えばその第五百三話には『旅するもろこしパン』ならぬ《旅する野兎糯米の馅饼》そして締め括り第千一話には『見るなの箪笥』ならぬ《見るなの駐車場》と云うように…
 
このようにして、物語はそもそも子どもの魂の奥深くに在る原形から育ち、発展し結晶
そしてそのような、「結晶」した名作名品から派生し、枝分かれし
或いは見事に変容し生まれ変わって独特に歌謡化、舞踊化、演劇化してゆく
 
物語は勿論、子どもらが聴いて楽しみ生きる糧にするものである
しかしその一方で《物語》という形態が、語り手と聴き手、という演劇的構造を持っている以上、そこには母子関係という重要な家族的演劇性があり、其処を巧みに手繰っていく、遡っていくことにより、子どもらの真(しん)の姿に辿り着き、子どもらの心の底の美しく豊かな、且つ哀しくも貴い風景が浮かび上がる
 
私は父母のみなさんに、これまでも就寝前の物語を強く勧めてきたし、ここに改めて、その重要性を特筆したい
 
二〇二四年一月二十二日 沖縄
屋我地診療所治療教育外来代表
川手鷹彦
 
 
本欄ご読覧の諸賢へ
 
いつもご理解ご支援いただきありがとうございます
 
名護市屋我地診療所は2013年/平成25年12月に小野寺隆が所長に就任、同時に、川手鷹彦を部門代表に招聘し治療教育外来を開始、仲宗根美奈・相原愛子ら有能な現場スタッフの無私なる貢献により、自閉症を始めとする「特別な保護を必要とする子どもたち」に藝術の場を提供してまいりました
2022年令和4年には
「沖縄の小児保健活動に著しく功績があった者で、今後も引き続き活動が期待される個人または団体を顕彰する」
沖縄小児保健賞の令和4年度《個人の部》に小野寺隆が選出され、その受賞理由に以下の如く、治療教育外来の功績と可能性がはっきりと明記されました
 
…(前略)また、(小野寺隆)先生のライフワーク的業績として外せないのは、発達障がいのある子どもたちに対して演劇などの芸術を用いた医療・治療教育の活動である。困難さを抱える子どもたちに寄り添い、その子どもた ちの可能性に対して芸術を用いて伸びやかに育てる試みは、小児の医療、保健、福祉、教育、保育に関わる全ての関係者に学びと刺激を与えるものである。
 
一方で本邦に於ける治療教育は混迷を極め、権威とされる者たちの見識水準の低さ、現場医療機関での誤診・誤療の頻発、家庭での父母家族の無知無理解、加えて昨今目に余るのは、インターネット界隈での、自閉症や「ADHD」についての誤情報発信でした
医師を名乗る者、著名な権威までが、自閉症について明らかな経験値・認識能力の低さを露呈しているにもかかわらず、社会的に大きな影響力を持って発信し続けております
更に嘆かわしいのは、父母たちの所業、…自閉症児たちの日常を垂れ流して再生回数を稼ぎ、当該児童の成長に深刻な悪影響を与えています
以上のような状況が少しでも改善されるよう、且つ、自閉症について正しく知ることのできる公的医療機関が少なくてもひとつは本邦にある、と云う周知の願いも込め、本欄を開始、2022年10月21日の初回から一年余り、二十四回の投稿を実現致しました
 
しかしながら、コロナ禍中多忙を極めた小野寺隆所長、部門代表川手の診療・施術時間は、現段階でも更に増え続け、本欄の定期発信に時間を費やすことが極めて困難になってしまいました
 
そこで今回をもちまして掲載を一旦休止させていただきたく存じます
またいつの日か、何らかの形で、自閉症を始めとする「特別な保護を必要とする子どもたち」「心の保護を求める子どもたち」「非定型発達」についての知見をお伝えできる機会を願い
そして本邦、いや、世界の自閉症児と「心の保護を求める子どもたち」「心に傷を負った子どもたち」にとって真(しん)に美的藝術的な治療教育の実現を願って
 
再見Zàijiàn!(またいつの日か)

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