治療教育という道 その十七

投稿日:2023年06月11日(日)

次は黒川教授による哲学的文章を受けて川手の書いたものである
 
☆ ☆ ☆
 
私たち医療・治療教育関係者が扱っている術語(下記参照:日本語=英語/ドイツ語)
 
障害=Disorder/Behinderung
疾病=Disease/Krankheit
症例=Case/Fall
症候群=Syndrome/Syndrom
 
とその文化的背景について黒川教授より鋭い指摘が為された
ここまで踏み込んで語っていただけたのも、教授が医学者のご家庭に生まれたことの影響があると思われる
極めて重要な主題故、今回も引き続き検証していきたい
 
先ずは黒川教授による考察の核心部分をまとめてみよう
 
1、疾病概念の捏造による理解不能であることの隠蔽
2、症状主義的な疾病分類概念を便法として機能させる医療従事者のクライアント操作
3、病名を無理矢理被せる医療対象化
4、以上の如き理不尽な方法で医療制度・教育制度が維持されるという権力への迎合
 
真(まこと)に見事な洞察である
 
これらに関連するものとして、昨今、「蛙化現象」という心理学用語(似非心理学用語)が巷で話題になっている
 
好意を抱いている相手が自分に好意を持っていることが明らかになると、その相手に対して嫌悪感を持つようになる現象
 
であるが
このような人間関係の最細部まで用語化・術語化していくことで、かえって人間がそれらの症病分類に振り回されるという、教授の指摘された通りの現象が起きている
それどころか昨今のネットやSNSの異常なまでの流行により、一般市民が安易にこのような術語を使用して訳知り顔で話し合うという、嘗て評論家の大宅壮一氏がテレビ普及による人間の思考・想像力低下を予言した「一億総白痴化」(1957年)が正に現実となりつつある
 
また、そもそもこの「蛙化現象」という名称自体が、症例名として必ずしも相応しいとは思えない
 
遡れば、フロイトによるエディプスコンプレックス・エレクトラコンプレックスに始まる心理学系の命名は、詩歌演劇文學を愛する者にとっては、真(まこと)に許容し難いものだ
 
エディプスコンプレックス(Ödipuskomplex Oedipuscomplex)は男児の母親に対する性的愛情と父親の排除抹殺願望
エレクトラコンプレックス(Elektrakomplex Electracomplex)は女児の父親に対する性的思慕と母親への憎悪・対抗心
 
であるが、
出典であるギリシア神話〜悲劇に於ける描写とは全く異なっている
 
オイディプースは「父を殺し母と交わるであろう」というアポロンの託宣が成就せぬよう、実の両親と信じていたコリント王と王妃の許を離れ、テーバイへ向かったところが、道を譲る譲らぬで実父と知らずライオス王を殺してしまう、その後スフィンクスの謎を解いてテーバイ国の禍いを解決したことで空位になっていた王として迎えられ、これもまた実母とは知らずにイオカステを妻にする
エレクトラーに関しても、母クリュタイムネーストラーを憎んでいたわけではない
憎しみを言うなら、クリュタイムネーストラーは長女イーピゲネイアーを生け贄にした夫アガメムノーンを憎み刺殺したが、両者は夫婦で血は繋がっていない
次女エレクトラーと長男で末っ子のオレステースは父の仇となってしまった母クリュタイムネーストラーへの復讐をすべきか悩むが、そこに憎悪や征服の感情はない
あるのは実の母を手にかけねばならない、悲しみと葛藤…
因みにギリシア悲劇の幾つかの原典では、実際にクリュタイムネーストラーを殺害するのはオレステースである(筆者戯曲最新稿ではエレクトラーにしている)
 
さて、問題の「蛙化現象」だが、元になったのは、グリム童話集の巻頭を飾る『蛙の王様』である
池に黄金のまりを落とした王女が、池に棲む蛙に頼んでまりを捕ってもらうのだが、その交換条件に、お城へ連れて行く、と空約束をする
王女は池の蛙との約束など、破ってしまえばいいと思うのである
捕ってきてもらったまりを受け取ると王女は急ぎ城へ帰るが、後ろから蛙がついてくる
 
城に着いた王女は父王に状況を説明するが、王は
「たとい相手が蛙であろうと、約束は守らねばならぬ」
と諭すのである
蛙と共に食事をし自室に戻った王女は
蛙が昼寝まで一緒にするというので、遂に堪忍袋の緒が切れて、蛙を掴んで壁に投げつけると
そこに現われたのは、潰れた蛙ではなく、優美な王子の姿であった
当該部分を取り出して邦訳する
 
そこで王子は姫に語ったのです
邪悪な魔女に呪いをかけられ蛙にされてしまったこと
王女以外の誰にも王子を池から救い出して元の姿に戻せる人はいなかったことを…
Da erzählte er ihr, er wäre von einer bösen Hexe verwünscht worden, und niemand hätte ihn aus dem Brunnen erlösen können als sie allein, …
(『グリム兄弟による子どもたちと家庭のための童話集』巻頭“Der Froschkönig 蛙の王様”より)
 
ご説明するまでもなく、「蛙化現象」とはまるで逆なことがわかる
もし私がグリム兄弟の立場であったら、このような名称付けには、強く抗議するであろう
(ソフォクレスもフロイトには、冥府にて、怒り心頭に発したと想像する)
 
社会に何らかの現象が起きると、その根本的な原因や発生の経緯を把握せずして、安易な名称付けを行なうという、この悪癖は、止めなければならない
若者たちが流行語として、言葉遊びをすることは致し方ないにしても、専門家がそれを煽動し、またその尻馬に乗るようなことは、くれぐれも避けるべきである
 
☆ ☆ ☆
 
以上、前回の黒川教授の考察に沿って昨今の状況について述べてみた
次回は、教授がやはり前回語られた、未来への解決策のひとつ:
《医療機関とは違う、むしろ教育機関に近い、それぞれの個性や才能を開花させ援助していくという方向の、新しい学校でも病院でもないような施設を建設する必要性》(黒川氏原文通り)
について論を進めたい

二〇二三年六月十一日 中国厦門
屋我地診療所治療教育外来代表
川手鷹彦

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