治療教育という道 その十八

投稿日:2023年06月17日(土)

今回は新しい施設建設の必要性について語る予定であったが、黒川教授より、前回までのテーマについての更なる考察をいただいたので、急遽予告変更して、掲載しよう
 
☆ ☆ ☆
 
言葉とは何か?
言葉の起源の問題

「蛙化現象」をめぐって

 
川手先生から頂いた、この度の蛙化現象についての問題を考える際において、このテーマは少なくとも哲学的には、そもそも言葉とは何か、言語の起源とは何であるのかという、言語についての原理的な考察から始める必要があることにまず思いが至った次第である。
ただし、言語について言語で語るという時に、その全貌を解明することは残念ながら不可能である。それは、あたかも自分の顔を、鏡を使わないで直接垣間見ようとするような試みでもあるからだ。
 
しかしながら、人は人生において様々な言葉、シンボル、ないしは言語記号に出会い、そのような記号から様々な連想を展開することとなる。そして、この展開された連想が、或るコミュニティにおいて共有される時に、それは確かに言語 ・言葉として流通するようになるのもまた事実である。
 
本来、言葉とは、ある対象からの連想がパターン化され固定化されて、常に自らに回帰していくような連想であるということができる。かつてルソーは「言語起源論」において、言葉の始まりは詩的なものであったと記している。言語の始原は、詩的言語であるという議論である。
 
言葉はいかにして成立しうるか。人は、名状しがたい出来事に出会うと、まずはそれを命名したいと願うようになる。
連続的な物理現象を離散的な集合・カテゴリーに写像(ホメオモルフィズム)しようとするのである。
ポストモダニズム隆盛の時代にその有様を「言分け」という言葉で表現していた言語学者がいたが—ソシュールの影響を強く受けて一世を風靡した批評家;丸山圭三郎そのひとであるが—、いずれにしろ、言葉とは連想パターンが固定化して自らに常に回帰していくような連想であるということは確かであるように思われる。そして、医学的事象における病名もまたこの類に他ならない。
 
或いは、有名な虹の例である。虹は各文化圏により、色も分け方も異なり、必ずしも我が国のように七色として捉えられているわけではない。七色の虹は、普遍的な物理現象ではなく、ある文化圏のいわば詩人(ディルタイ)が生み出したファンタジーなのである。(*)
 
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撮影者:塔卡
撮影地:中国昆明
撮影日時:2018/10/08 18:34

 
ところで、日本の伝統文化では、言葉のこの想像の世界への展開、連想の行き交う有様を、「風流」、すなわち風の流れに例える。芭蕉の『奥の細道』は「風流のはじめや奥の田植え歌」を嚆矢とする。
あるいは、芭蕉といえば「古池や蛙飛び込む水の音」となるが、この古池から水の音に展開する連想を媒介するものが、今回のモチーフであるカエルであることは極めて興味深い。いわばカエルベクトルである。
 
ちなみに、先月に誕生日を茶室で迎えた小生であるが、当日の床の間の掛け軸「薫風南より来たる:薫風自南来」にちなんで、例によって茶室の皆さんに、風流についての話をさせていただいた。内容は、最近の天気予報の風速や進む方向を矢印=ベクトルで表現するやり方を、この風流の姿がビジュアライズされた一つのモデルとして解説したもので、先ほど例示した芭蕉の俳句に纏わるお話などもさせていただいた。なおその際に「掛け分け茶碗」の「清風」(大徳寺の柳生紹生:銘名)という銘がついたものも、茶道具における風流の例として引き合いに出した。その時に或るお弟子さんが、この黒白のクールな茶碗に薄茶を立ててくださったのだが、その薄茶のペパーミントグリーンの色合いが、茶碗の二色のコントラストに生えて、或る清涼感に満ちた美が感じられた。
言わば茶道具としての抽象絵画。
あたかも、ジョルジュ・ブラックの世界観にも通じる芸術性が脳裏を掠めたのである。
 
とりあえず以上、つらつらと思いのたけを述べさせていただいたが、茶道における茶室の床の間の掛け軸の役割等についても、ご参照いただきつつ、今後の議論の礎のひとつとなれば幸いである

皆様方のご清栄を祈念しつつ

黒川 五郎(裏千家茶名:宗五)
 
 

*虹について 〜塔卡/TAKA記
中国の古代社会では、森羅万象に畏敬の念が払われていた
虹は水を飲む怪物で大変横暴、あたり構わず飲み喰らいすると、信じられていた
『詩経』の中の作品にある通り
“蝃蝀在东,莫之敢指”
「虹は東にあるが、指差す勇気はない」
とされ、特に東に現れた時には、不吉と恐れ、けして指差すような不敬態度を取ることは固く禁じられた
日本も古代社会に於いては、虹は物の怪として畏れられており、それは、大陸からの影響もあったろうが、人の魂に本来内在するものとしての、畏怖だったのであろう
タイでは、今日(こんにち)もなお、上述のような感情が生きており、寺院内や河辺をそぞろ歩いている時など、夕立ちの後の鮮やかな虹から目を背けて歩くよう、タイの友人に注意されたことが幾度かある
 
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撮影者:罗钧韦
撮影地:中国黄田古村
撮影日時:2023/06/03 20:25

 
☆ ☆ ☆
 
カエル王子に芭蕉の句が結びついた!
これで「蛙化現象」という暴言に傷ついたグリム兄弟の心の傷も、随分と癒されたことだろう
私の今いる中国では、兎に並んでヒキガエル(蟾蜍/せんじょ)も月の住民である
それでは、カエルの物語最新作で締め括ろう
 
『蛙の母さん』

昔むかし かえるのかあさん おりました
夜な夜な田んぼの生き物たちの 家を巡って 火の用心
 
〈うた〉
かえるの(手拍子×4)かあさん 火の用心 クヮックヮッ
田んぼの(手拍子×4)みなさん 気をつけて クヮックヮッ
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベーコブークボー
ベーコブークボー
 
先ずはどじょうのにいさんの 処へ行きました
 
〈うた〉
どじょうの(手拍子×4)にいさん 火の用心 クヮックヮッ
お水の(手拍子×4)底なら 大丈夫 ピンピン
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベーコブークボー
ベーコブークボー
 
次に たにしの子どもらの処へ 行きました
たにしの母さん父さんは お出かけで 子どもらはお留守番です
 
〈うた〉
たにしの(手拍子×4)子どもら 火の用心 クヮックヮッ
おうちの(手拍子×4)中では 大丈夫 クークー
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベーコブークボー
ベーコブークボー
 
さて、ある晩のこと
かえるのかあさんと子どもらは
お月さまにお願いしました
 
お月さま お月さま
美しい満月を もっとふくらませてみてください
 
そんなことはお安いご用だ
こんなもんかーい MOON〜MOON〜MOOOOON!
 
まだまだー!
もっと大きくしてー
 
こんなもんかーい MOND〜MOND〜MOOOOOOND!
 
まだまだー!
もっともっと大きくしてー
 
こんなもんかーい
BUUUUUUULAAAAAAAAAAAAAN!
 
まだまだー!
もっともっともっとずーーっとおおおおおきくしてえーーー!!!
 
よーし それでは これでどうだあー
YUÈ YUÈ YUÈ YUÈÈÈÈÈÈÈÈÈÈÈÈÈÈÈーーーー〜〜〜〜
・・・・・・パチーン!!
 
キャー
 
〈うた〉
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベコベコベーコ クヮックヮックヮッ
ベーコブークボー
ベーコブークボー
ベーコブークボー ボー ボー
 
おしまい
 
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撮影者:塔卡
撮影地:中国黄田古村
撮影日時:2023/06/04 02:19

 
二〇二三年六月十七日 中国厦門
屋我地診療所治療教育外来代表
川手鷹彦

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